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弘前大企画 がんの話

(61)安楽死と尊厳死

2009年03月13日

「安楽死」と「尊厳死」。読者の皆さんは、どこかでこれらの言葉を耳にされたことがあると思います。この言葉の意味について、自分のこととして真剣に考えたことはありますか。考えれば考えるほど難しいテーマです。

 しかし、この連載の中でどうしても一度は触れておかなければならない問題と考え、今回取りあげてみました。

 緩和ケアとは、生命を脅かす疾患を抱えた患者さんやその家族に対して行われる「つらさ」を和らげるための治療やケアであり、病気の時期や治療内容を問わず、いつでも、どこでも、必要な時に提供されるものである、と以前に述べました。

 医療従事者向けの緩和ケアに関する教育や啓発活動も進められており、近年の医療現場では、病気の比較的早期段階から、がん治療と並行して緩和ケアが提供されるようになってきました。

 緩和ケアは決して病気の終末期にだけ提供されるものではないということが、少しずつ世の中に知られるようになってきています。しかし、がん患者さんとその家族にとって最も「つらく」なるのは終末期であり、緩和ケアによる濃密な手当てが必要とされるのは、その時期であることは間違いありません。

 終末期のがん患者さんは多様な苦しみを抱えながら、最期の時へと向かいます。痛み、息苦しさ、吐き気などのからだの苦しみ、死への不安や恐怖、いらだち、といった精神的な苦しみ、経済的な負担や社会的地位を失うことへの失望感、自分でできることが徐々に少なくなり、周囲の人々の重荷となってしまったという罪悪感など、紙面のすべてを費やしても書ききれない「つらさ」を経験すると言われています。

 それら一つひとつに対する丁寧な手当てを講ずるのが緩和ケアですが、手を尽くしても緩和できない「つらさ」を抱えた患者さんや家族の頭の中をよぎるのが、安楽死だと思います。

 安楽死はギリシャ語の「良き死」に由来し、本来は自然で大往生的な最期を迎えることを意味する言葉でした。

 医療の目覚ましい進歩により、自力で栄養が取れなくなったり、呼吸ができなくなったりしても延命が可能となった現在、幾多の「つらさ」を抱えて生きることに耐えかねて、もうたくさんだ、終わりにしてほしい、との患者さんや家族の訴えが無視できなくなり、ここに現代の安楽死問題が生じてきました。

 安楽死は本来の自然な死ではなく、致死的な薬を注射したり、生命維持装置のスイッチを止めたりすることによって、意図的に患者さんを死に至らしめることを意味するようになったのです。

 すなわち、安楽死は、患者さんの明らかな意思があったとしても、また患者さんにとってよかれと考えて、家族や医療従事者が決断したとしても、行為そのものは殺人なのです。

 安楽死の程度の問題としては、以下のように分けることもできます。

 一つ目は積極的安楽死で、直接的手段で直ちに死をもたらす方法です。

 二つ目は消極的安楽死で、例えば食事の取れない患者さんの点滴などによる水分・栄養補給を中止したり、強心剤などの生命維持に必要な薬の使用を中止したりする場合で、必ず死に至ることがわかっていて行われる治療手段変更という方法です。

 いずれにしても、こういった行為が行われて明るみに出ると、そのつど報道されて大きな問題となり、安楽死に対する社会全体の関心の高さがうかがえます。

 安楽死に対しては、賛成論も慎重論もあります。安楽死=慈悲的行為と断ずるのはいささか短絡的ですが、耐えがたく緩和困難な苦痛からの解放を望む患者さんや家族の声も切実です。

 世界を見渡してみると、安楽死を法律で認めている地域もいくつかあります。安楽死を合法化するためには、市民を中心とした活発な議論が前提となりますが、緩和ケアのレベルや医療制度(特に地域に根付いた家庭医の存在)の違い、宗教観や死生観といった文化的背景の違いなど非常に多角的な検討が必要となります。

 いったん失われた命を復元することはできませんので、単なる感情論で、事を決してはならないですし、社会全体がこの問題に常に関心を寄せ続けていくべきなのでしょう。

 もちろん、人生の価値観や死生観は人それぞれですから、必ずしも法律で一律に規制することがなじまないのかもしれませんし、かといって野放図に現場の判断に任せてしまっては、患者さんの命が他者の意思のみで決せられてしまう危険をはらみます。

 延命治療を可能にした現代医療と、それを正義として認めてきた社会全体に課せられた大きな宿題とも言えそうです。

 一方で、尊厳死という考え方も徐々に広まっています。尊厳死とは、死が避けられなくなった場合に自分はどこまで治療やケアを望むかに関して、意思決定能力があるうちにあらかじめ宣言しておくことです。

 自分はこう生き抜きたい、こういう死に方をしたい、という意思表明であり、医療の現場では、患者さん自身の確たる要望であれば最大限尊重されます。しかし、いよいよ死が迫り、判断能力がなくなった時点で、比較的元気であった頃と同じように考えるかどうかはわからない、というところに問題が残ります。

 今回は安楽死・尊厳死という非常に難しいテーマを取りあげました。国をはじめ我々医療側も、患者さんや家族の意思が尊重され、苦痛を最小限にできるような緩和ケアの充実に取り組んでいるところです。しかし、この問題は国民全員のためのものでなくてはなりません。

 なぜなら、現在は全国民の2人に1人が、がんに罹患(りかん)する時代だからです。慎重、しかしあくまで前向きで建設的な国民的議論が待たれます。
(弘前大学医学部付属病院麻酔科講師 緩和ケアチーム 佐藤哲観)

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