ここから本文エリア 被災の保育士、避難先で再出発 富士見市が採用2011年5月8日
東日本大震災からもうすぐ2カ月。埼玉県内に避難してきた被災者の中には、先が見えない中、働き始める人も出てきた。福島県南相馬市から、富士見市の親戚宅に身を寄せている保育士の三戸裕子(みと・ゆうこ)さん(45)もその1人。同市内の保育所で新たなスタートを切った。 「とても緊張しました」 2日午前8時すぎ、避難先の親戚宅から自転車で、市立第三保育所(高野かずよ所長)に初出勤。朝の体操で子どもたちに自己紹介すると、早速、元気いっぱいの年長児たちと接した。 昼前、園庭で男児4〜5人と大縄跳びをしようとすると、一人の男児が「一番目に飛びたい」とだだをこね始めた。「みんなでジャンケンね」。結果、その男児は勝って最初に飛び、そのあとで真っ先に三戸さんに駆け寄り、抱きついてきた。久々の感触に自然と頬が緩んだ。「なついてくれた。かわいいなあ」 震災までは南相馬市立小高保育園で、0〜1歳児の保育を担当していた。3月11日午後、園内で昼寝中の乳幼児を起こし、おむつ替えをしている最中に大きな揺れに襲われた。子どもを抱きかかえて、職員らの車に乗せ、高台に避難した。 みんな無事だったが、福島第一原発の事故で20キロ圏内の同園には避難指示が出され、園児や同僚とはバラバラに。「インターネットの避難者名簿で、子どもや同僚の名前を見つけるとうれしい」。自身も母親(70)とともに同月16日から親戚宅に身を寄せている。 第三保育所に勤める契機となったのは4月14日。義援金受け取りや南相馬市からの連絡を受ける手続きのため、富士見市役所に出向いたところ、市立保育所で働く非常勤嘱託職員の募集告知が目に留まった。その足で担当課を訪れて面接、採用が決まった。 働き始める直前の同月29日、荷物を取りに「緊急時避難準備区域」にある自宅に戻った。避難してから44日ぶりで、父親らの位牌(いはい)に家具、そしてエプロンなどの「保育園グッズ」をできる限り車に積み込んだ。福島第一原発は亡き父の元職場だが、「原発さえなければ……」と思いは複雑だ。それでも今は新しい職場で懸命に前を向く。「名前と顔を覚えて初めて保育は流れる。一生懸命、子どもたちをみています」 富士見市は今月20日まで、市内に避難している被災者を優先に、市内の保育所で働く非常勤嘱託職員2人を募集している。問い合わせは、市保育課(049・251・2711)まで。(加藤真太郎)
マイタウン埼玉
|
ここから広告です 広告終わり [PR] 比べてお得! |