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ここから本文エリア ナガサキ ノート・4
看病の姉 がんで亡くす2009年05月11日
《光武冨士男さん1926年生(7)》 光武冨士男さんは佐賀県錦江村(現白石町)出身。1941年、国鉄に入り、9月に長崎機関区勤務に。年、試験に合格し機関士になった。 45年8月のある日、列車に乗務中に敵機の機銃掃射に遭った。トンネルも切り通しもなく、逃げようがなかった。弾が天井を貫き、男性客が死亡した。「今も、あの時は他に何か方法がなかったのかと考えてしまう」 原爆投下からどれぐらいたったころか覚えていないが、激しい下痢が続いた。仕事が出来る状態でなく、実家に帰った。夜中にたどり着き、玄関先で倒れた。体はどんどん衰弱していき、医師も原因がわからず、「もうダメだろう」とさじを投げた時期もあった。光武さんも「何の病気やろかて思いよった」。だが、何とか持ち直した。 その時に熱心に看病してくれた姉が4年前、がんで亡くなった。「私の看病をしたばっかりに、放射能の影響を受けたのでは。すまんことしたなと思うとります」
マイタウン長崎
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