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ここから本文エリア 09年新年連載 連峰の向こうへ
【4】ナレーター 中村啓子さん2009年01月05日 この声、神様がくれた 小学3年の国語の時間。朗読した。「良い声しとらね。アナウンサーになりゃいいがに」。隣の席の同級生の一言。幼い心でアナウンサーになると決意した。 ◇ 小学校のときは、引っ込み思案だった。昼食を食べるのは遅く、放送委員になれなかった。でも朗読で初めて声をほめられ、意識するようになった。 雄山高校では、先輩にスカウトされて放送部へ。同部は全国大会で制作作品が優勝するなど、名門だった。2年の夏、父親が東京へ転勤になった。家族は一緒に引っ越したが、放送部にいたくて卒業まで富山に残った。 進学した首都圏の短大には地方出身者が少なかった。「夜間」は金物の「やかん」。ドレスを「縫った」は「塗った」。富山弁のイントネーションに悩まされた。自信をなくして「これください」としか言えないときもあった。だが笑われて悲しい思いをするたびに、標準語を覚えた。アクセント辞典を本や新聞の隣に置いて勉強した。だが、苦労とは思わなかった。知ることが楽しかった。 19歳で、有線放送のアナウンサーとしてデビュー。ニュースや天気予報などを読むようになった。放送局のアナウンサー採用試験には受からなかったが、知人から「ナレーター」という仕事を紹介された。いつの間にか、それが仕事になっていた。「自分の前に道が備えられていたようで不思議な気持ち」。富山にいたら巡り合えなかった出会いが、東京にはいっぱいあった。 ◇ 39歳で、初期のがんが見つかった。それまでの人生を振り返った。目先の仕事しか頭になかったことに気付いた。「このまま死んだら薄っぺらな人生だ。もっとやることがあるんじゃないのか」 聖書にある一節と出会った。 「自分がしてもらいたいと思うように、他の人たちにもそうしなさい――」 仕事にも当てはまった。「聞き手の気持ち」を深く考えるようになった。さらにボランティアで朗読を始めた。いまは在宅ホスピスの末期がん患者のもとで、聞き手の呼吸に合わせて1対1で朗読する取り組みをしている。 91年から担当するNTTの時報。盲目の人が時刻を知ろうと、受話器を持ってじっと聞いている姿を想像して読んだ。 朗読会で出合った、夫を亡くした女性に言われた。「ひとりぼっちになって寂しい夜中、時報の声を聞いて慰められます」。自分の声で励まされている人がいた。 時報に選ばれたのは、癖のない聞きやすい声だったからだ。「努力して勝ち取ったわけではない。だから神様からもらった天性の声を人の役に立つように使いたい。1人でもいいから癒やしたい」 ◇ 病んだり、傷ついたりして、初めて同じ立場の人の気持ちが分かるようになった。表現するうえで「経験」は宝になる。自らの病気も「天からの贈り物」と考える。 2月には三浦綾子著の「塩狩峠」の朗読CDが発売される。自己犠牲の愛がテーマの小説。「愛を伝えたい」という筆者の強い思いを感じて、好きだ。 マイクの前で、いつも思う。「今日もありがとうございます」 (文 舩越紘、写真 遠藤真梨) ◇なかむら・けいこ
マイタウン富山
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